子ども時代に過ごした年末年始の思い出 2
前回のつづき◎
大晦日は家族4人で、近所のお蕎麦屋で年越しそば(わたしと姉はうどん派)を食べに行く。そしてその足でサティに行って、おかずとお菓子をたくさん買う。夜、楽しい大晦日のテレビを見ながら食べるのだ。よく両親が、氷を入れたグラスにポッキーを入れ、冷やしながら食べていたのでよく真似をした。今思えばポッキーが水っぽくなるだけのような気もするけれど、我が家にとっての大晦日ならではの光景であった。
年が明け、元日からは両親の実家に帰省した。朝はマクドなどで軽く済ませて家を出る。父の実家へは車で3時間ほどかかる。到着し車から降りると、いつも部屋の窓から祖父(とても無口)がこちらを優しく眺めていたのが印象的だった。こっちの実家へは毎年お正月しか帰っていなかったことや、ザ・田舎の古い家だったこともあり、正直あまり居心地がいいものではなかった。人見知りでろくに話もできなかったけれど、(祖父母に人見知りする孫!)いつも優しく迎え入れてくれていた。
夜はテーブルいっぱいにごちそうが並んだ。盆や正月にスーパーでよく見るオードブルだ。率直に"おばあちゃん家のごはん、いつも豪華ですごいな〜" って思っていたけれど、それは孫のことを思って、きっと子どもが喜んで食べるであろう料理を準備してくれていたんだなぁと、大人になり感じる。
食事が終わると芸能人格付けチェックを見る。そしてお風呂に入って、お風呂上がりに牛乳を一杯飲んで(いつもスヌーピーのかわいいグラスで飲ませてもらってた)就寝。………布団が重い!!毛布がチクチクして不愉快!!長い夜であった。
翌朝は昨夜の残りのオードブルと、祖母特製のお味噌汁、ごはんが並んだ。祖母のお味噌汁は具沢山でとてもおいしかった。一度、一口サイズにカットされたからあげが入っていた時は驚いたけれど、それはそれでおいしかった。しじみのお味噌汁を初めて食べたのもこの頃だった。しばらくして、"世の中には味噌汁のしじみを食べない人もいる"という事実を知ることになるが、わたしの家族はみんな食べていた。おいしいよ。
朝ごはんが済むと準備をして、お墓参りをした。その後はみんなで記念撮影をして、"またね、元気でね"みたいな挨拶をしたあと、若干後ろ髪を引かれながら祖父母宅を後にした。いつも、自家製のお米や野菜をたくさん持たせてくれた。そしてわたしたちの車が曲がり角で見えなくなるまで見送ってくれた。これから母の実家(大阪)へ向かうのである。
つづくଘ(੭ˊ꒳ˋ)੭✧
祖父母どちらともいなくなって、空き家になった父の実家。母はたまに"もう少し帰ったらよかったね"と口にする。確かにもう少し頻繁に会っていたら、人見知りもしなかったのかな。もっとたくさん話もできたかもしれないね。
有給をとる
日差しがあたたかくて最高に気持ちいい〜〜〜 春の陽気って感じ。
昨日は片頭痛にやられていたのと同時に心もあまり穏やかではなかったので、ふと"今週どこかで休みほしい"と思った。上司に相談すると、その翌日しかとても休めそうにはなかったので(繁忙期)、急ではあったけれど休ませてもらうことにした。
実家暮らしなので、母に"明日は家にいるよ"の連絡をする。しばらくして"よかったね。なにか美味しいもの食べに行こう!"と返事がきた。嬉しかった。この何気ない愛情に感謝をしなければならないんだろうな。
美味しいものを食べにきた。鍋焼きうどん。
カレーうどんがおいしいお店なんだけれど、うっかり白いニットを着て来てしまったので断念。
一緒にスーパーで買い物をしたあと、ローソンで大好きなポムポムプリンの当たりくじを1回だけ引いて帰宅。プレート皿が当たった。ちなみに一番ほしいのはティッシュケースなんだけど、当たりくじというものはなかなか難しい。ラストワン賞(ぬいぐるみ)もほしいな。数日後また行ってみよう。
平日の昼間にのんびりできる幸せを噛み締められるのは、いつも仕事を頑張っているからだもんな。また明日から切り替えてがんばるか〜〜〜
もっと楽しく生きてみたい
こんなことばかり書きたくないのだけれど◎
楽しくない!自分を好きになれない!
昔に戻りたい。人生 後悔ばかりだ(⸝⸝o̴̶̷᷄ ·̭ o̴̶̷̥᷅⸝⸝)
今朝、片頭痛が激しすぎて目覚めた。何とか薬でコントロールできているけれど、寝起き最悪である。
転職に興味がありサイトを覗く。自分のやりたいことが分からない。得意なこともない。自分のやりたいことや自分が向いていることは検索できない。そんなサイトなどあるわけない。自分のことを自分が一番理解できていない。今後、どうやって生きていくのかな。ずっと今のままなのだろうか。
自己分析が苦手で、就活では痛い目を見た。あんな思い二度とごめんだ。
挫折が怖くてチャレンジしないまま終わっていることが山ほどある。勿体無い。そんな人生(´・ω・`)
無理だ!でも生きなければならないのよん。
子ども時代に過ごした年末年始の思い出 1
子どもの頃は年末年始が大好きだった。
終業式 → 冬休み → クリスマス → 大晦日 → お正月
何て素晴らしい流れなんだろう。もともと寒いのも平気だったし、冬休みの宿題なんて書き初めぐらいだったから、特に困ることもなく毎年楽しく過ごしていた。
クリスマスの日の早朝は、2歳上のお姉ちゃんとお互いに起こし合って枕元に置いてあるプレゼントを開封するのが恒例となっていた。プレゼントはいつもお菓子の詰め合わせとセットになって置かれていて、サンタさんはそれを毎年同じ包装紙で包んでくれていた。地球にやさしい。
サンタさんへのお手紙は毎年書いていたような気がするけれど、お願いしたプレゼントが贈られた記憶はほぼほぼない。近所の友達はお手紙に書いたプレゼントが届いた!って言ってたのに…ってガッカリしたこともある。だけど、サンタさんは毎年欠かさず来てくれていた。ありがとう、サンタさん🎅
一度、当時再流行していた"たまごっち"をお願いしたときは、「人気すぎてゲットできませんでした。ごめんなさい」という手紙が届いたこともある。サンタも大変だ。
そんな感じで彼の存在をぼんやり信じたまま小学校高学年に上がったわたしは、突然彼の秘密を知ることになる。
「ちょっと来て!プレゼント見つけた!」
姉に呼ばれてついて行くと、押し入れの奥から見覚えのある包装紙が見えた。…プレゼントだ。
何でこんなとこにあるん?以下、お察しのとおりである。
きょうだいに真実をバラされるのって、割とあるあるな気がする。(わたし調べ)
だけど、きっとこれで良かったんだと思う。わたしたちは家族にプレゼントを見つけたことを黙っていたし、気になる中身はわたしたち姉妹がとても喜ぶプレゼントだったから。
それにわたしはピュアな子どもだったので、あの出来事がなければそこそこの年齢になるまで信じていたかもしれない。あいたたた。
NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」(2013)で、主人公のアキ(能年玲奈さん)がサンタさんを高校生ながらも信じていて、周囲に呆れられる場面があったけれど、あれに似た状況が実際に起こっていたかもしれない。
成り行きに感謝。
つづく◎